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童謡の里づくり

生涯学習課 : 2009/11/27


童謡

きっかけ


安芸市は、作曲家・弘田龍太郎のふるさとであることから、童謡に特化したまちづくりを進めています。昭和52年、当時の安芸市観光協会会長が「弘田龍太郎が残してくれた、童謡という何年たっても滅びないすばらしい遺産をみんなで大切にするために碑を建てよう」と呼びかけたことに始まります。

 この呼びかけは、安芸市を訪れた人が、安芸市自慢の風物に触れられるように、弘田龍太郎の童謡曲碑を安芸市内各所に建立する活動に発展し、昭和53年6月に最初の曲碑「浜千鳥」が大山岬に完成したのをはじめ、安芸市内の名所・旧跡に10基が建立されました。

 また、曲碑建立活動と同時に、市民の合唱やゲストコンサートなどを行う「安芸童謡フェステバル」や、新しい童謡の創作を目指す「弘田龍太郎ふるさと賞」の創設、「童謡のシンボルマーク」の制定、兵庫県龍野市(現たつの市)との童謡で結ぶ姉妹都市提携など、様々な活動を行ってきました。

 現在も市民団体による活発な童謡の里づくり活動が行われています。

弘田龍太郎


 明治25年(1892)6月30日、安芸郡土居村(安芸市土居)で、父正郎(せいろう)、母総野(ふさの)の長男として生まれました。父は、政治家・教育者として知られています。母は一絃琴の名手で、龍太郎の音楽的センスはこの母から受け継いだといわれています。

 父の転任に従って3才の時高知を離れ、千葉師範学校附属小学校、三重県立第一中学校を卒業、同43年、東京音楽学校(現東京芸術大学)器学部ピアノ科に入学しました。在学中に歌曲「昼」を作曲。大正3年卒業、11月高安ゆり子(詩人、高安月郊の長女)と結婚しました。卒業と同時に母校の助手を勤めますが、同6年に作曲部が新設されるや再入学し、修了後は同校講師、助教授となりました。

 本格的な作曲活動は、同6年頃から始まります。宮城道雄を中心とした新日本音楽運動に参加、琴・三味線を主体とした当時の舞踊会に洋風の伴奏を取り入れるなどの斬新な活動が脚光を浴びました。また、舞踊家の若柳吉三郎(初代)に「柳」「姨捨山」「雪の幻想」や歌舞伎の尾上菊五郎(六代目)に「生贄」「刺客」を作曲、振り付けまでも指導し、大好評を博しました。

 その後、北原白秋を中心とした童謡運動「赤い鳥運動」にも参加。「靴が鳴る」「浜千鳥」「叱られて」「雀の学校」「春よ来い」などの名曲を次々と発表し、童謡・歌曲作家としての地位を確立しました。昭和3年、文部省在外研究員としてドイツに留学し、帰国後、母校の教授に任じられましたが、2ヶ月で辞任し、作曲活動に専念、歌曲「千曲川旅情のうた」や仏教音楽「仏陀三部作」、オペラ「西浦の神」などを発表し、高く評価されました。

 晩年は、作曲活動のかたわら、幼児教育に携わり、放送や講習会、リズム遊びの指導にあたりました。昭和27年(1952)11月17日、東京本郷弥生町の自宅で永眠、時に60才。

曲碑


第1号
第1号
浜千鳥
第2号
第2号
咲いた桜に


第3号
第3号
お山のお猿
第4号
第4号



第5号
第5号
雀の学校
第6号
第6号
春よ来い


第7号
第7号
叱られて
第8号
第8号
鯉のぼり


第9号
第9号
金魚の昼寝
第10号
第10号
靴が鳴る


曲碑 曲名 建立年月 曲碑設置場所 曲碑センサーの有無
第1号 浜千鳥 昭和53年6月 大山岬新旧国道分岐点 なし
(平成16年台風23号被災後撤去)
第2号 咲いた桜に 昭和55年4月 内原野公園入口 なし
第3号 お山のお猿 昭和56年6月 黒鳥浄貞寺山門前 なし
第4号 昭和57年4月 赤野自転車道休憩所 あり(平成13年1月設置)
第5号 雀の学校 昭和58年8月 土居橋 なし
第6号 春よ来い 昭和61年3月 岩崎弥太郎生家前 あり(平成13年7月設置)
第7号 叱られて 昭和63年5月 土居公民館 あり(平成12年3月設置)
第8号 鯉のぼり 平成2年10月 溝ノ辺公園 あり(平成21年2月設置)
第9号 金魚の昼寝 平成12年10月 江ノ川上公園 あり(平成21年9月設置)
第10号 靴が鳴る 平成17年10月 安芸駅前広場 あり(平成19年3月設置)

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