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弘田龍太郎

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担当 : 安芸市歴史民俗資料館 / 掲載日 : 2025/02/12

ふるさとの風景を曲にした日本を代表する作曲家

弘田 龍太郎

明治25年(1892年)、土居村西木戸(現在の安芸市土居)に生まれました。
父は教育者であり、明治初期に高知県議会議長を務めた弘田正郎。母、総野(房)は、一絃琴の名手で、龍太郎の音楽的才能は母から受け継がれたものといわれています。

3歳の時高知を離れ、千葉師範学校付属小学校、三重県立第一中学校を卒業。

同43年、東京音楽学校 (現東京芸術大学)器学部ピアノ科に入学。在学中に歌曲「昼」を作曲。大正3年卒業、11年高安ゆり子(詩人、高安月郊の長女)と結婚。卒業と同時に母校の助手を勤めていましたが、同6年に作曲部が新設されるや再入学、修了後は、同校講師、助教授となりました。本格的な作曲活動は、同6年頃から始まります。宮城道雄を中心とした新日本音楽運動に参加。琴・三味線を主体とした当時の舞踊界に洋風の伴奏を取り入れました。

その後、北原白秋を中心とした童謡運動「赤い鳥運動」にも参加。「靴が鳴る」「浜千鳥」「叱られて」「雀の学校」、「春よ来い」などの名曲を次々と発表し、童謡・歌手作家としての地位を確立しました。

晩年は幼児教育に携わり、放送や講習会、リズム遊びの指導にあたりました。昭和27年(1952年)11月17日、東京本郷弥生町の自宅で永眠、享年60歳。

 

楽譜の写真

楽譜



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電話:0887-34-3706 

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