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安芸の歴史 山内氏入国と五藤氏
安芸市歴史民俗資料館 : 2025/02/12
安芸の歴史 山内氏入国と五藤氏(江戸時代)
徳川幕府成立後、土佐を与えられた山内一豊は、慶長6年(1601)土佐へ入国します。山内氏は広くて長い土佐を支配するため、佐川、宿毛、窪川、本山、安芸の五ヶ所の城に重臣を配置し、 このうち安芸には、山内氏と同じ尾張の出身で、一豊と苦労をともにしてきた五藤氏を置きました。
五藤氏は寛文10年(1670)頃に家老となりますが、知行高1100石は土居付家老の中で最も少なく、知行地も分散しており、安芸の村々全体に対する支配権はなかったようです。 しかし、積極的な新田開発や山林支配、内原野焼などの産業育成をはかり、1700年に奉行職を拝命して以来、幕末まで藩の要職にあって藩政を司りました。
土居廓中

安芸城は天和元年(1615)の一国一城令で廃城になりましたが五藤氏は内堀に囲まれた土居内に屋敷を構え、枡形の櫓門や土塁上の塀など周辺を整備しました。 また、土居の外には家来団の居住地である廓中かちゅうを整え、馬目樫や土用竹の生垣で囲まれた町並は、今なお落ち着いた侍屋敷の面影をとどめています。