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五藤家伝来美術工芸品

安芸市歴史民俗資料館 : 2025/02/12

江戸時代、土佐藩家老だった五藤家に伝わる歴史資料や美術工芸品を市民共有の文化遺産として後世に伝えるため、昭和60年(1985)五藤家より安芸市に寄贈寄託されました。
平成5年(1993)、安芸市はこの五藤家資料1051点のうち28点を「五藤家伝来美術工芸品」として安芸市保護有形文化財に指定しました。また、このうち「刃銘国益」は平成10年(1998)、高知県保護有形文化財に指定されました。

蒔絵船形弁当(江戸時代)  

藩主が安芸を訪れた際に、内野原の山荘「延寿亭」での宴のために作られたと伝えられています。野弁当の一種。大名の屋形船をかたどっており、台座の引き出しには杯と銘々皿、船体には酒注、屋形には三段重箱がそれぞれ納められています。

蒔絵船形弁当

 

 

浅葱糸威胴丸(江戸時代)

兜は、星と呼ばれる鋲を一行に31点づつ打った星兜鉢で、鉢の後ろに革製金箔押の蛇じゃの目形めなりの立物を付けている。享保8年(1723)の五藤家の記録にある「小田原鉢 蛇目ノ御後立添」は、この兜をさすと思われます。胴は右脇に引合せを設け、前・左・後を一連につないだ胴丸といわれる形式で、全体を浅葱糸威あさぎいとおどしとしています。胸や袖などには銅や赤銅の上り藤紋の鋲がつく。五藤家に伝来した甲冑の中でも華やかで保存の良い物です。

浅葱糸威胴丸

 

刀銘 国益(江戸時代)

国益は大阪二代大和守吉道の門人で、土佐に来住して土佐藩御用鍛冶となり、上野大掾を受領して高知城下に鍛刀し、宝永5年(1708)没した。墓は潮江山にあります。

この刀は身幅尋常にて、やや切先のび先反りが高い。地金板目柾まさがかり、刃文直刃すぐはほつれる。五藤家の註文品と思われ、一般にある国益とはやや異なり、また銘も草書である点が貴重です。

刀銘 国益




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